オーダーして出てきたカプチーノ。目の前のカプチーノの泡に浮かぶ、そのデザインにしばらく見入る。これまで自分は「映える」という感覚を理解できずに、けっこうな時間を過ごしてきた。しかしこのカプチーノを見た瞬間、ふとある感覚が湧く。
映えるとは、もしかすると自分の心理状態が好調なとき、はじめて生まれる感覚なのかと。そして、映えるとは、自分の内面を表すデザインのようなものでもあるのかと。
この日、会話のリズムは心地よく突っかかりもない。しかもきのう得た新たな情報で、モヤモヤが晴れた状態でもある。だからこの画像には、好調な自分の内面がデザインされている。だから自分にとってこのカプチーノは映えるデザインと言える。すくなくとも自分は、今日そんなふうに考えるようになった。
指導現場にも映えるデザインというものはあるのか。もしあるとするなら、その現場はきっと活気にあふれ、切磋琢磨する選手たちで溢れているに違いない。