すべての情報を処理することは困難と知りつつ、指導者は目先の評価に囚われそれを処理することを求めます。見た目が整うことを良しとし、評価の基準はだれも異を唱えない平均値にあります。そして、このことは近年標準化されてきました。
知らず知らずのうちに、私たちは自分と他者を比較しています。誰かからよく見られたいとか、あの人がやってるから自分もやらなきゃとか、いろんなことを考えがちです。そしてこの比較が軌道にのり、自分の考えが安全圏に達すると、それを正解とし他者へ求めることを始めます。
私たちの指導現場はどうでしょうか。整えられた環境へ子どもたちを閉じ込め、外のつながりを遮断し、指導者のこだわりを正しく振る舞うことを要求しています。子どもたちのアイデンティティを育てるより、整えられた正解を強調し彼らのマインドを支配しています。
現代社会では私たち大人が考えるより、子どもたちは日々いろんなことを考えています。自分を語れない私たち大人の内にある、自分と他者を比較する物差しによって、自分の「好き」に自信を持てない子どもたちを育てています。